おばあちゃん

昔から私はおばあちゃんっ子で、なんでもてきぱきとこなす利発なおばあちゃんが大好きだった。

おばあちゃん家に行くと、いつも近くの肉やさんでコロッケをたくさん買ってきてくれていた。ウチは兄弟が多いので、それはもう大皿にたくさんのコロッケ。でもそんな大人数でもたべきれないくらいのコロッケ。

梅干しや梅酒なんかを造るのが上手で、梅を氷砂糖につけた梅ジュースが私はすごく好きだった。お母さんが何度おばあちゃんに教わったとおりにしても、あんなにおいしくできなかった。正月に食べる黒豆も、おばあちゃんの作ったのは格別においしかった。あんなに上手に料理する人を知らなかったくらいだ。

それと、いつも振る舞われるのがゆり根の卵とじ。すごくおいしくて、おばあちゃん家に行くのが楽しみだった。おばあちゃんもおじいちゃんも孫たちがくるのを楽しみにしていたみたいで、お寿司を取っていてくれたり、お父さんのためにビールを買って、おつまみの枝豆も用意して、心待ちにしていたみたいだ。

兄弟が増えるたびに、おばあちゃんは手編みの服をくれる。お手玉も作ってくれた。スカートも縫ってくれた。裁縫が大好きで、すごく丁寧に作ってくれたんだ。
若い頃婦警さんだったおばあちゃんは、当時やっぱり警察に勤めていたおじいちゃんとの昔話をよくしてくれた。同じ話の時もあったし、おばあちゃんの話はいつも長かったけど、私はそれをうん、うん、って聞くのが好きだった。

両親も小さい頃に亡くし、もらわれっ子になってそうとう若い頃には苦労したみたいだ。おじいちゃんは昔は仕事一本の人で、家庭をかえりみず、家にお金を入れない時期もあったらしい。今ではその面影もないが、すごく自分本位で厳しい人だったとおばあちゃんは言った。

私が中学生くらいになったとき、おばあちゃんと私がよくにていることに気づく。心配性で、人のことをよく気にかけてばっかりで、でも自分の仕事もきちんとやらないと気が済まない、それから、隔世遺伝で瞳の色が薄いのも。

高校生くらいになったときに、介護のことについて話していたことがあった。「人に迷惑かけて生きるくらいやったら、死んだ方がましや」というおばあちゃんに、私は同意してうなずいた。私もやっぱり、本当にそう思っていたからだ。




私が仕事をしていたのがきっかけで鬱病になって、一人暮らしをやめて実家に帰ったときには、まだいつものおばあちゃんだった。一人暮らしの家がおばあちゃん家に近かったため、いろいろ面倒をみてもらった。でもその頃からおばあちゃんは何かを悟っていたんだ。「最近はおじいさんに家事を教えこんでるんや、ひとりでも生活できるように」

今、おばあちゃんは私のことをすっかり忘れている。
初めて「あんた誰や」と言われたときは何が起こったのかわからず、おもわず笑ってしまったが、あとで一人で泣いた。
おばあちゃんは私のことだけでなく夫であるおじいちゃんのことまでよくわからないみたいだ。おじいちゃんはおばあちゃんの介護をしながら、町のボランティアをやっている。でもおばあちゃんがボケてきてからはずいぶん仕事を減らしておばあちゃんのそばにいるようにしてるみたい。

今のおばあちゃんを見ると、すごく心が痛む。
昔言っていた、「人に迷惑をかけてまで生きるくらいやったら死ぬ」、あの言葉が思い浮かんで、今のおばあちゃんを前のおばあちゃんが見たら、死にたいって思うのだろうか、と思って。

なのにおばあちゃんは幸せそうなんだ。いつも家を空けていたおじいちゃんが、いつも側にいてくれて、それがすごく幸せそうなんだ。
こんなに幸せそうに笑うのだからきっと、死にたいなんて思ってないだろう。だって人に迷惑をかけているんじゃなくて、おじいちゃんはおばあちゃんが好きで一緒にいるのだから。
そう思うことにした。
そして微妙な心持ちとは裏腹に、おばちゃんよかったねって私は思うんだ。